<医療哲学>

このページは現在医学科6回生の筆者が、
<医療哲学>のネットワーク構築を目標に運営するものです。

2008年4月5日〜28日でインドに渡航し、
2008年4月7日〜19日まで、
Kastruba Medical Schoolにてアーユルベーダ実習を行いました。

帰国後、構想しているもの、それが<医療哲学>です。

アーユルベーダ実習報告はこれまで大学内で3回行いました。
PowerPointスライドを以下に掲載します。

(1)2008年5月23日(金)発表分

(2)2008年6月10日(火)発表分
帰国して発表するごとに内容が増補されています。

ブログには<医療哲学>についての考察を載せています。
また、インドでの実習中の様子も掲載されています。

ブログ「あつくんち」

2008年6月6日(金)
Kasturuba Medical SchoolのDr.Kamath(M.D. AYU)による
「アーユルベーダ臨床講義」が開催されました。
その時のパワーポイントファイルと、ムービーは以下からダウンロードできます。
講義ファイル
ムービー(300MB)

「医療哲学」について定義してみました。
まだ、構想中ですが、およそ以下の通り。


根源的キーワードは、<Soul>
解釈モデルとしては、<Human Beings>
エネルギーとしては、<Chaos>
解釈用言語としては、<Philosophy>
とします。

「医療哲学の危険性」
この分野は全くの未開拓分野ではない。
すでに世界中に、過去未来に存在する全ての宗教、思想と密接にリンクし、
ほぼ同義ととらえられる。
ゆえに「言葉」を用いることが極めて難しい。
「言葉」にした瞬間にそれは「宗教」になってしまう。
その紙一重のところにラインを引き、学問としておきたい。
だから「言葉」をもたない学問になる。
「言葉」を持たないというポリシーは、同時にその存在を広く理解せしめることに適さない。
「哲学」という言葉は難しいという先入観を学生にもたせる危険性がある。これを解消するにはある程度の基礎的解説と実体験とのリンクが不可欠である。

「医療哲学の理念」
医療哲学は、極めて「感覚的」な学問であり、個人的な体験を重視する。
根本は<Soul>であるが、そこに至る道は無数にあり、
個々人の体験全てが道であり、
一つの道をなぞるべきものではない。
医療者として、解釈モデルとして<Human Beigns>を用いる。
医療者は「人」に最も深く関わる職業である。
エネルギーは<Chaos>である。
様々な道をもつ人々の<Philosophy>が集合し、<Soul>を志向する、
それはすなわち<Chaos>であり、万物を生み出すエネルギーである。

「医療哲学にどう参加するか」
根源的キーワードは、<Soul>
解釈モデルとしては、<Human Beings>
エネルギーとしては、<Chaos>
解釈用言語としては、<Philosophy>
という4つで全ては説明されている。これに感覚的に賛同できなければ、
今はあなたがここに参加する時でない。
「わからないということがわかる」学問であり、
「わかる」学問ではない。
抽象的、比喩的、感覚的、非科学的な学問であり、
具体的、科学的、即物的な学問では有り得ない。
この意味を今感じることができるのであれば、
迷いなくともに語る事ができ、語りは尽きない。
感じられなければ、参加できない。
それはこれまでの人生においてどう哲学的考察をしてきたか、に依存する。

「医療哲学の可能性」
言葉にはできないもの、物心二元論を超越したもの、
これらを直感的に志向できる人々は、すでに多くの社会的困難をいくつか乗り越えた人々である。
これから臨床に臨む医学生にとって、ましてや高等学校からそのまま医学部に進学した学生には、その下地がないことを認めざるを得ないことを理解して欲しい。
だからこそ、自分のいる位置を俯瞰する「哲学」という「わからない」学問に耳を傾けて欲しい。はっきり言うが、「わからない」ことが当たり前であり、飽くまで冷たく突き放す。「わかる」とは言えない。なぜなら筆者も「わかった」とはまだ言えないからである。
「わからないことがわかる」学問に進む者は、本質である<Soul>を直感的に意識できてはいると言える。その意識は正しい。ただし、21世紀現在、それを世界的に繋ぐ学問は存在しない。宗教として、あるいは実学ではない思想としての哲学としては存在する。
よってこの「医療哲学」は全くもって新たな学問であり、
全くもって新たなネットワークである。
解釈モデルとしては、<Human Beings>を用いることができる医療者が集まり、様々な経験を持ち寄り<Chaos>としてのエネルギーを蓄積し、解釈用言語として<Philosophy>を用いる事で宗教とは一線を引く。決して本質は言葉にしないし、その必要はないし、してはならない。飽くまで言葉としては<Philosophy>を用いる。
<Chaos>のエネルギーは無限に大きい。このネットワークはやがて世界を変えるほどのエネルギーを内在している。既存のどのNGOよりもNPOよりも大きなエネルギーをもつ。21世紀の大きな潮流となる可能性を持っている。

「学生へ」
学生はオープンマインドであることが最大の利点であり、それ以外ない。
今後臨床医として、研究者として、様々な職種として社会に出たときから、オープンであったマインドは瞬く間にカタにはめられ、ワクにしばられ、シガラミに悩まされる。
だからこそいまは「わからない」ままでもいい。「わからないことをわかる」ことを目標にこのネットワークに参加し、やがて社会において医療者として認められたとき、この「医療哲学」の根本的発想のもとに活動してほしい。どう分化していくかは未知数である。しかし、物心二元論の西洋医学に薄々限界を感じている人はすでにここまでの文章で十分に賛同し、自分の所属すべきネットワークであることを理解できているはずである。そうでない人はこのようなネットワークがあることだけを知っていてくれれば良く、それ以上は求めない。もしも必要と感じたならば参加し、不要と思えば脱退すればよい。そのような<Chaos>や新陳代謝こそこの「医療哲学」にエネルギーを与える。
「わからないことがわかる」ことは即ち根源的キーワードである<Soul>を求めていることの証明である。

「医療者および社会で糧を得ている人々へ」
やがて1年以内後には筆者も医療者となる。社会で糧を得て行く上での経験が得られる時がくる。その経験から得られた「わからないもの」「感覚的なもの」「非科学的なもの」「EBMでは片付けられないもの」これらを学生に語ることが何よりの教育である。
それは学生に「医療哲学」の芽を植えることであり、水をやることであり、育てることとなる。
経験とは、医療者として目の前の人間に真摯に向き合って初めて得られるものであり、これほど貴いものはない。これ聴く時の学生の眼はどの学問を学ぶ時よりも精気に溢れていることはご存知の通りである。
多くの共感いただける医療者が、顧問として、コアとして、学生を支える事が必要である。学生は<Chaos>の可能性を持った貴重な存在であり、大きなエネルギーを持ち、そのオープンなネットワークがやがて世界を変える可能性は、ご理解いただけるものと確信している。

この「医療哲学」のネットワークが日本を越え、世界に広がり、EBMのパラダイムを内包しつつよりよきものに変えて行く可能性はすでにこれをここまで読んだ人は理解できているはずである。言葉にはしないが、皆が求めているもの、世界が求めているものは、どんな時代の変遷を経ようとも普遍である。それを学問的に探求しようというネットワークのエネルギーは膨大であり、筆者もその行く末は予想できない。わかって欲しいとはもはや言うまい。共感できるならば、世界を変える力をこの「医療哲学」という学問のネットワークに委ねて欲しい。

具体的展開については、ネットワーク個々人の直面する問題に対応するので、無数に上げられる。 まずは、
1:筆者が経験したアーユルベーダをキーワードに東洋医学と西洋医学のパラダイムの違いについて考察する事。
2:決して効率的とは思えない臨床講義、臨床実習に対する考察。
3:医師の偏在、医療格差を明確にしつつある医師初期臨床制度に対する考察。
4:国民皆保険制度、後期高齢者医療制度、介護保険制度、混合診療、免責制度に対する考察。
5:プライマリケアの実質的定義と諸学会の軋轢に対する考察。
6:医師個人としてのスキルアップの方向性に対する考察。
7:Science Human Artと真善美の共通点に対する考察。
8:人間的基準に立脚した科学技術に対する考察。
9:風水、中医学など黄河文明を起点とする哲学に対する考察。
10:建築、都市計画と哲学を介しての医療との融合についての考察。
これらは現在筆者が関心のあるごく一部である。
繰り返すが対象は無限であり、その対象ごとにFocusは的確に合焦しなくてはならない。それを可能にする言語は<Philosophy>以外にない。
どのような問題にも対応し、解答を検討し、現実社会に還元して行く、これこそが「医療哲学」の実践的側面である。「実践医療哲学」は「医療哲学」の現実社会への還元手法の一つである。

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